本場ドイツの味とお客さんとの関係を大切に。
ソーセージ専門店「ブルスト」が
長年地域に愛される理由・渡辺晃久さん

 笹下釜利谷道路沿いにある、「ブルスト」。店にはずらっとソーセージが並びます。他にも、ハムやベーコン、まもなく2年熟成した生ハムも登場するのだとか。スーパーマーケットに陳列される製品とは比べ物にならない味と種類に魅了される客は多く、特に週末は次から次へと客がやってきます。
 でも、この店の魅力は満足度の高いソーセージだけじゃありません。

“美味しい! 出来立てソーセージに感動し、その道へ”

「ブルスト」は1984年に先代オーナー・倉林あきらさんが創業し、現在は渡辺晃久さんが引き継いでいます。ソーセージ、ハムやベーコンなどを販売していますが、驚くのはソーセージの種類の豊富さ。27種類もあり、ドライフルーツが入ったもの、レバーが練りこまれたり、ピスタチオの緑が映えるソーセージなどもあります。形もさまざまで、ハムのような丸型や、パウンドケーキのような四角形のものも並びます。
 ちなみに一番人気はラオフォブルスト。シンプルな粗挽きソーセージで、ポトフやおでんに入れるのがオススメだそうです。

「私はソーセージ作りしかできませんから」

 そう言って微笑む渡辺さん。葉山で高校時代まで過ごし、畜産を学ぶため北海道の大学へ進学します。大学2年生の時、授業の一環で、ソーセージ作りをしたことが、全ての始まりでした。

「はじめてでき立てのソーセージを食べたんです。とってもおいしかった。感動したんです。その時に “この道に進もう” そう決めました」

 大学卒業後は大手のソーセージメーカーに就職。当時はソーセージをたくさん作りたいという一心で、製造ラインに立っていたそうです。念願かなってソーセージ作りをする一方で、ある疑問も抱くようになりました。それは、いずれ昇進するとデスクワーク中心になっていくこと。確かにソーセージ作りは重労働で、年齢を重ねれば体力的な厳しさは増します。ただ、それは自分のやりたいことなのだろうか。
 自問自答を繰り返すうちに、ある自分の気持ちに気づきました。

「ソーセージ作りの本場・ドイツで修行がしたい」

 早速、渡辺さんは上司に直談判。休職し、ドイツへ渡りました。さらに、せっかくヨーロッパに行くなら入社後に食べて感動した生ハムも勉強しようと、スペインにも行くことにしたのです。

欧州で見つけた、将来の自分像

 まず、スペインに向かった渡辺さん。実はスペインには何のつてもなくやってきたので、言葉もわからない中、自分で修行先を探すところから始まるはずでした。ところがスペイン到着の翌日、街で運命的な出会いをし、これが渡辺さんのスペインライフを後押しすることになったのです。

「スペインの日本人協会会長に出会ったんです。しばらく話していると、彼の出身地が神奈川新町のほうだとわかり、意気投合したんです。そして私がスペインに来た事情を話すと、ある生ハム工場まで連れて行ってくれて、その工場で働けるように話をつけてくれたんです」

 そうして生ハム工場に見事潜入。およそ2週間、豚のもも肉に塩を塗り込む作業などを行いました。スペイン語はわからない上、生ハム作りも初体験。それでもみようみまねで技術を学び、本場の生ハム作りを経験しました。

「運が良かったんだろうね、きっと」

 2週間スペインに滞在した後、ドイツのある小さな村へ。大学時代の教授のつてで、その村のソーセージ店を紹介してもらい、約2ヶ月働きました。その村には外国人が来ることは滅多になく、その珍しさから地元紙に渡辺さんが働きに来たと記事が掲載されたのだとか。

 ドイツには、「マイスター」と呼ばれる国家資格の制度があり、各分野でのスペシャリストを意味します。渡辺さんが働いた店の店主もソーセージ作りのマイスターでした。渡辺さんはそのマイスターの家でホームステイをしながら、朝5時に働き始め、夜7時に帰る生活を送ることに。言葉が分からなくてもソーセージ作り自体は見てわかる。マイスターの一挙手一投足を追い続けたのです。

「マイスターはあまり機械に頼らず、一本一本丁寧にソーセージを作っていました。よそのソーセージ店にも食べに連れて行ってくれましたし、ソーセージのことを本当にたくさん教えてもらいましたね」

 マイスターは、店でお客さんとのコミュニケーションも大切にしていました。それは、客の表情の変化に気づくことができるほどだったそう。そうした店とお客さんとの関係に、渡辺さんはいつしか、将来の自分の働き方を重ねるようになりました。

「マイスターの店は、お客さんと代々付き合い続けているんですよね。とてもアットホームな空間でした。それで、自分の目が届く店が良いんだ、と分かったんです。自分で作って自分で売るというのが大事だし面白いと思いましたね」

 さらに、仕事の捉え方も変わっていきました。ソーセージ作りはいわゆるブルーカラー(肉体労働)の仕事。日本では当時、肉体労働者はやや下目に見られがちだったのに対し、ドイツのマイスターたちは誇りを持ってソーセージ作りに励んでいたのです。そうした光景に渡辺さんは感銘を受け、マイスターのように働くことを目指すようになりました。

地元で一番美味しいソーセージ店を探し、
飛び込みで仕事交渉

 渡辺さんは武者修行から帰国後、一度元の会社に戻りますが、1年未満で退社。地元・神奈川県に戻りました。そして地元で一番おいしいと思ったところで働こうと考え、葉山、藤沢などのソーセージ店巡りを始めます。

「インターネットがない時代なので、人に聞いてお店を探しました。特別な日に食べるソーセージではなく、毎日の食卓に並ぶソーセージが美味しいお店で働きたいと思いました。何店舗も巡り、ダントツで美味しかったのが、ブルストでしたね」

 ブルストにも飛び込みで仕事交渉。先代・倉林さんは驚いていたようでしたが雇ってくれることに。難易度が高い生地を練る工程を習得したほか、その日の気温などで変わる塩分量や水の量のカンを身につけて行きました。

「日々、出来が違うので、自分なりに良く出来た日は気分も乗りました」

地域同士でつながる

 ブルストでは、当時から合理的な働き方を実践していました。モットーは「任せられる仕事は、任せよう」。例えば、肉の下ごしらえは精肉店に依頼する。そうすることで、渡辺さんたちはソーセージ作りに専念することができるのです。

 ソーセージ職人の中には、この方法に関し、否定的な見方をする人もいるそう。ただ仕事の効率化以外に「地域を盛り上げる意味もある」と渡辺さんは強調します。

「地元の人は下手な遠くの親戚より知っていることがあるし、連携した方が楽しいじゃないですか。昔は、『俺の店が一番!』という風潮もあったけど、今は個人店一店舗ずつが強くなり地域をどう盛り上げるかが重要なんじゃないかな」

 肉の下処理以外にも、ブルストでは、ビール店とコラボしギフトを作ったり、近隣農家の永島さんのしいたけを使ったソーセージを販売。お店同士が繋がり、そのお客さんが店を行き来すると地域の活性化に繋がると期待しています。

永島農園のしいたけを使ったソーセージ

「私は葉山出身ですけどね、20何年もいれば、この土地に愛着も湧きます。常連のお客さんが、寂しそうにしていたり、楽しそうにすると、分かりますしね。あるとき、20歳ぐらいの人が『こんにちは』と来たんです。誰だろう、と思ったら、昔小学校の体験授業でブルストに来ていた当時の児童だったんです。私は働き始めた頃から、できれば地域に溶け込んだ方が良いと思ってやってきたので、それがうまく行ったのかな」

 一人一人のお客さんを大切にする。これが、ブルストが愛される1番の理由です。12年後には、50周年を迎えます。「ソーセージの魅力をもっと伝えたい」という熱い情熱を胸に、今日も多くの人のお腹と心を満たします。